最近、クーベリックを再び聴くようなった。再びというのは、子どもの頃テレビでクーベリックの指揮を見て(多分 我が祖国)感激して何枚かレコードを買った。その後はあまり何故か聴かなくなった。勿論、バロック古典の楽団に入団したので、自然とヒストリカルな物とは離れていったのだが。久しぶりに聴くとやはり、素晴らしい。ダイナミックな表現なのだが、整っていて、なにしろ彼の振るオケの音が何とも言えない美しさである。みずみずしいというか、とても美味しいフルーツを食したような、爽快感を感じる。
今日聴いているのは、ベートーヴェン全集。8月の大阪芸大のコンサートシリーズで名古屋に行った際、知り合いの方に教えてもらい、初めてのレコードショップへ出向いて購入した。演奏会場から歩くと割と距離があったので汗だくになりながらの買い物だったが、全集で、ワンコインというお値段でとてもラッキーであった。このレコードボックスと共に、ベームの1975年東京ライブのボックスも購入でき、充実のお買い物だった。「ミュージック1st」というお店だったが、とても興味深いレコード多数で、またゆっくり見たいものである。今回はゲネプロと本番の空き時間に行ったのでもう少し時間が欲しかった。
このベートーヴェン全集、オケが全部違う、という面白い企画の物である。企画はクーベリック自身の提案だそうである。さすが、多くのオケで愛されたクーベリックならではの企画である。しかし、やはり苦難な時を送った、シカゴとの共演は無い。彼が若い時、客演して、認められ、ウェルカムに迎えられた、はずだったのだが、シカゴトリビューンの専属評論家の女性が、アンチ フルトヴェングラーだったため、何をやっても酷い批評をかかれた。クーベリックはフルトヴェングラーに認められていたし、風貌もなとなく似ているのが理由らしい。当時のアメリカは、ドイツを中心に、ヨーロッパ在住のユダヤ系の音楽家は、迫害を逃れるため、アメリカへ渡った。イタリアで確固たる地位を築いていた、トスカニーニもムッソリーニ政権の全体主義に反目してアメリカに渡った。そんな中、アメリカに渡った演奏家は、ドイツで演奏を続けたフルトヴェングラーをに対して批判的な感情を持っていた。フルトヴェングラー自身はナチスには結構反目して結果彼もスイスへ逃れるのだが、、。ヒトラーの生誕記念コンサートで何度も断ったが、押し切られて指揮した。それが後々影響してしまう。戦後、フルトヴェングラーをニューヨークフィルへ招こうとした際、ユダヤ系の演奏家たちの猛烈な反対に合って実現しなったのは有名な話。そんなフルトヴェングラー後継者的存在と言われ、風貌も似てるといえば似てるクーベリックが、音楽とは別の事で、そしてたった一人の批評家のせいで、苦難を送ったとは、、、。でも最近も、似たような事があったなと思い出す。ロシアのウクライナ侵攻で、ゲルギエフはミュンヘンフィルを追われ、歌手ネトレプコも一時的にキャンセルが続いたと聞いた。日本では考えられないが、西欧ではクラシック音楽と歴史や社会は関係性が強く、この様な問題は過去沢山ある。そしてクラシック音楽家のステータスは日本より何倍も高い。だからといって、この様なことが起こってしまうのも悲しい事ではある。我々日本人も、もっと政治や歴史を本気で学ばないといけないことを、痛感させられる。演奏出来ることは幸せなことなのである。だから、もっともっと沢山聴きたいし、学びたいと思うようになった。幸い若い演奏家や、アマチュアの演奏家たちとも繋がりを持てたので、こういう感覚を伝えていきたいと思う。
ところで、今全集は、1,4,2番と来て、いまはエロイカの2楽章である。実はこのベルリンフィルとのエロイカは、CDを持っていたのだが、やはりレコードの方が断然良い。音が深いし奥行がある。CDで聴いた同じ演奏とは思えないくらい素晴らしい。レコードボックス2個を、名古屋から、舞台衣装と共に重たくなった荷物を運んで帰った甲斐があった(笑)。
Comments